〜さゆり先生が光の扉を開くカギを探すのを導いて下さいました〜

 私は転勤族のサラリーマンの父と心配性な母、無口な弟の中で育ちました。

 幼稚園に通うまでは活発な子供でした。が、高校入学するまでの間二年に一回くらい転校を繰り返している内に内気な子供になっていきました。やっと慣れて友達が出来た頃には、また次へ…の繰り返しの中で本当の自分を出す事が出来なくなっていったのです。

 一ヶ月に一回は熱を出し、小児喘息の発作で学校を休む事も多かったのですが、背が高く体格も良い大人っぽい顔をした私は、周囲がイメージする私と本当の私のギャップを小さい頃から感じ、辛かったのです。

 家では行動的で亭主関白な父と、いつもクヨクヨ悩んで体の弱い母の間で…、父方の元気でにぎやかな実家と、物静かで一人暮らしている母方の祖母とのギャップ…。その対称的な人達の中で、私はどうすればいいのか分からなくなることも度々ありました。

 親戚に優等生な人達が多かったこともあり、幼い頃から劣等感を感じ自分に自信がなく、唯一心を開いて接する事ができたのは母方の祖母だけでした。

 私は、小学校と高校の時に一回ずつ登校拒否をし、社会人になってからも三回対人恐怖症のようになり、恐くて家から出られなくなりました。今まで誰にも相談しませんでしたが、3回目の今回、30半ばになっていた事もあり、「もう、自分一人の力ではどうしようもない」と思い、さゆり先生の治療を受けました。メンタルクリニックにも通いましたが、『薬で治るモノではないような気がする』と感じたからです。

 初めての治療の時に、先生は私に憑いていた3人の祖父母と、お位牌に入っていた祖父を天に返して下さいました。
私が名前を書くだけで、どんな人だったかを当ててしまう先生に私はただ驚くばかりでした。
今の私の引きこもりのような状態は、大好きだった母方の祖母の影響が大きいと言われた時は驚きました。「あなたは今までの10年間つらかったでしょう…」と、先生に言われ『祖母が亡くなったのはいつだったかしら?』と、思い出すとちょうど10年前だったので、ビックリしました。

 私には優しく穏やかだった祖母の記憶しかありません。その祖母が心の中ではこんなに辛かったのかと思うと胸が痛みました。「おばあちゃん、いつもニコニコ笑ってたのに…。こんなに苦しかったのね。」と思うと、涙がポロポロあふれて止まりませんでした。

 先生に、「半年くらいかけてだんだんお祖母さんの影響がなくなるわよ」と、言われ、その半年が過ぎようとしています。
うす皮をはぐように良くなるからと言われましたが本当にその通りです。
最初の治療を受けてすぐは、「治ってるのかな?」と、思うくらいに小さな変化でしたが、6ヶ月過ぎた今は自分でもビックリする程明るく元気になりました。

 私の事なんか家族でさえ、誰も大切に思ってくれていないんだと思い込み、自分で自分を苦しめていた事に気づきました。自分で殻に閉じこもり、人との間に壁を作っていた事に気づいたのです。

 さゆり先生のおかげで光の扉を開くカギを見つける事ができました!

 さゆり先生に治療していただいて、私の内面が変わりました。その事で、今までの中で一番家族と仲良く暮らす事ができ、思っている事を素直に言葉に出す事が恐くなくなりました。仕事もまた始める事が決まりました。

 友達にも、勇気を出して自分の心の状態の事を話しましたが、離れていく人はいませんでした。むしろ、私が嬉しくて涙が出る程心配してくれ、元気になった今は、これまで以上に仲良く、思っている事を素直に話せる友人になった人もいます。六年ほど失恋の痛手から男性恐怖症で、男の人とお付き合いする事を避けていましたが、今は「良い人がいれば…」と思えるようになりました。この変化には自分でもビックリしています。

 そして今は、自己ヒーリングが出来るように、さゆり先生にレイキをアチュ-メントしていただいています。

 もしも、半年前の私のような状態で苦しんでいる方がいらっしゃるのなら、ぜひ、さゆり先生とお会いしてみて下さい。先生は優しい笑顔とお声で迎えて下さって、その人に合った治療法で明るい方へ導いてくださいます。

 わたしの体験が、以前の私と同じ辛さの中にいる少しでも多くの方達のお役に立つ事ができれば、とてもうれしいです、

 さゆり先生、守護霊様、天使ちゃん、そして神さま、私を光の方へ導いて下さったすべての方達への感謝をこめて…。