喜びと感謝の詩 〜 神の愛と光に包まれて 〜 ( K・M )
神様、全ては与えられていたのですね。
生きるのに必要なものは全て私の内側にずっと在ったんですね。
28年間、私はあなたを探し、自分を探し、外の世界を彷徨いました。それは長く苦しく、孤独な旅でした。
あなたは私に気づかせようと様々な方法で私にメッセージを送って下さっていましたね。家族や友人達との人間関係を通して、ある時は、いじめ、鬱病、摂食障害、対人恐怖やパニック障害に引きこもりといった症状を通して、そしてある時は怒り、苦しみ、寂しさ、怖れや不安といった感情を通して。
それなのに傲慢な態度で気づかなかったのは私でした。
そんな私も多くの忍耐強く慈悲深く愛に満ち溢れた存在たちの導きに助けられ、やっと神の愛に目覚めることが出来ました。
私はずっとすっと愛されていた。
そのことに気づいた瞬間、私は神の愛と光に包まれ、体の底から感謝と喜びが溢れ出してきました。見るもの聞くもの、生きとし生ける全てのもの、そして宇宙に存在する全てに愛と光だけを見ていました。
私の内側に無限大に広がっていった愛と光は、次第に内なる中心へと収束し、私は静寂に包まれました。
そこに私が見たもの、そこに在ったのは神と私だけ・・・。全ては一つ。静寂。世界は私の感覚を通してのみ創造されていたのですね。何ということでしょう・・・。
今まで外の世界を恐れ、3年近く引きこもるほど酷かった対人恐怖症も他人なんていないのだと気づいたこの一瞬に消えてしまいました。
全ては愛でした。
愛から生じていないものはなく、全てに光が宿っていました。
この28年間まるで仕事のように苦しみ続けた日々も今では祝福へと変わり、痛みや症状の中にも神の愛と光を見ています。
再び神の愛に目覚めさせて頂いたこの栄光に感謝と喜びの気持ちでいっぱいです。この気づきへと導いて下さった笠原先生を初め家族や友人、全ての経験と存在に心より感謝致します。本当にありがとうございました。
『笠原先生との出会いに恵まれて』
長年PTSDの様々な症状に苦しみ、2年半に及ぶ引きこもり生活を経て、初めて自らの意志で決心し行動したのが笠原先生の治療を受診することでした。
対人恐怖症で極度の緊張に耐えながら、半ばパニック状態で先生のもとに伺ったのがほんの2ヶ月前のこととは思えないほど遠い昔のことのように思えます。
それ程この2ヶ月の間に私が経験した変化は凄まじいもので、周囲の驚きもさることながら私自身も驚いています。
闇から光の方へと無我夢中で駆け抜けてしまったような感じです。
1回目のセッションで13年間私の肉体に宿っていた、今は亡き父を天に返して頂いた感動は素晴らしく、とても言葉で言い表せるようなものではありませんでした。父を思う感謝と共に、父の病んだ肉体と果たしきれなかった想念を宿して生きてきた私の苦しみが先生の共感を得られた瞬間、その感激のあまり、私は全身脱力し大声でその場に泣き崩れ、しばらく身動きできない状態だったのを思い出します。
日を追うごとに自らの肉体感覚を取り戻し、父の想念から解放され自らの意志を汲み取り生きられるようになっていったあの感覚はとても感動的なものでした。
その後の変化も驚きの連続で、1ヶ月間の通学や社会実習をやり遂げられたことに始まり、それまで外食は愚か他者との食事も出来ず、流動食しか受け付けなかった私が母とお寿司やケーキを味わったり、友人とレストランで食事をしたり出来ました。
行動面でも遊園地や観光地を訪れたり、友人からの咄嗟の呼び出しにも慌てず応じられるようになりました。
自らの身体感覚を取り戻し、大地に足を着け、怖れや不安、エゴや執着から自由となり、神の愛に包まれ安らぎの内に生きている今、喜びと感謝の思いで魂は震え、体の底からは荘厳な光が溢れ出してくるのを感じています。
思い返せば度重なる苦難に愛と光を見出せず、どうしても自分自身を許せなかったあの日々に、先生が私を許し、私が私であることを赦し、先生が優しいお声で「自分を大事にするのよ。自分を褒めてあげるのよ。よく頑張ったわね。ゆっくり休んでいいのよ 。全部全部自分を認めてあげなくちゃ・・・」と数え切れないほど多くの慈悲に溢れた言葉を贈り続けて下さったからこそ、私は諦めず光に向かって進むことが出来たのだと、先生に寄り添われ共に歩んで頂いた苦難の日々に今この場所から祝福の光を見ています。
笠原先生本当にありがとうございました。